時はまだ、夏の暑さを残す季節。兵器開発局職員マルティナは茶を沸かしていた。もうじき来客がある。数日前に特別監査警察、略して特警より調査が入るとの通達があったのだ。特警と聞けば、職員の者達はそろって物騒な話を口にした。ある時は反社会勢力の幹部を襲撃し拠点を壊滅させたとか、黒い噂の絶えない大企業に乗り込んで乱闘を起こしたとか、まるでアクション映画のワンシーンのような大げさな話ばかりだった。以前のマルティナは、こんな与太話ばかりしか聞かない特警をアクションスター集団のように思っていたのだが、その見方はある事件より一変した。半年ほど前に発令された非常事態宣言、事態の収束のために特警から人間の少女が派遣されてきたことがあった。

真っ白な髪にすべすべの白い肌。しかしその髪はセットに失敗したかのようにボサボサだ。真っ白の体の中に、シロウサギ族ような真っ赤な目が二つ。そいつはテットと名乗り、パーティー用の赤いドレスを着て屈強な軍人共の横に並び、退屈な授業を受ける女子高生のようにあくびを交えながらブリーフィングを受けていた。身なりからして非常識なそいつは、もっと非常識なモノを見せてくれた。ロケット砲を直撃させても完全に破壊できない恐怖の機械、マシンソルジャーをいともたやすく素手でバラバラに引き裂いていた。武器の類は一切使っていない事は、映像を解析していたマルティナならすぐに理解できた。アイツに関わってはいけない。マルティナは本能でそう感じ取っていたが、彼女の意に反するかのようにアイツは兵器開発局の職員達に打ち解けていった。元々明るい性格なのだろう。素直な子供のようにどんな相手にも気さくに話しかけ、笑顔を絶やさないテットは常に誰かを引き付けていたのだ。その振る舞いはマルティナに対しても例外ではなく、特に戦闘映像の解析中によくラボ内に大量の食べ物を持って押し入ってきたのだ。

「こんにちはマルティナ。ここのたこ焼き美味しいよね」

真っ赤なライダースーツを着て、案の定両手に大量のバイオ肉まんやら培養タコ焼きやらを抱え、特警のやばい奴は入ってくるや否や待合室のソファーに深く腰を落とした。
「またそんなに食べて……太りますよ」
「大丈夫だよ。私の場合、全部筋肉になってるみたいだし」
テットはニカっと笑った。コイツは体質まで非常識だ。
「それよりさ、例のあれなんだけど― 」
「ああ、ポータルユニットなら今ステライル局長が起動実験中ですよ。もうじき終わる頃かしら」


今回テットが特警より調査を命じられたモノ、それはポータルと呼ばれる携帯型端末だ。何でもそれは、こことは異なる時空に存在する世界、言わば異世界への渡航を可能にするという。かつて調査に赴いたマシンナリシティにて発見された物だ。おそらく、特警が目を付けている例の企業が開発、および製造を行ったのだろう。何のためにそんなものを作り出したのか、あるいは一体どこからそのような技術を確立させたのか、テットの腑に落ちないことばかりだった。

突如、局内に警報が鳴り響いた。事故発生を告げるけたたましいサイレンと共に周囲の人々がざわめきだした。
「うそ、ここって……あのポータル実験の区画じゃない」
マルティナのすぐ後ろに有る大型のモニタ―に、事故が発生したと思われる区画が赤く塗りつぶされ大きく映し出されていた。
「マルティナ、その場所教えて。様子を見てくるから」
事の異常さをすんなり飲み込んだテットから、笑顔が消え失せていた。
「ダメよテット。局長ったら、実験に支障があるとかで施設内を厳重に封鎖していたのよ。あなたの力で防壁をこじ開けても半日くらいはかかります」
「それじゃあ、局長に何かあったらどうするの? 」
「局長にはLUNAが同行しているの。もしものことが有っても大丈夫だと思うけど」
「LUNA……彼女もそこに居るの? 」
幸か不幸か、あのマシンノイドが同行しているらしい。かつてマシンナリシティに侵攻し敵の排除を行った後で、テットは敵に強奪されると厄介なデータのデリート処理を行っていた。その際に監視カメラの一機が不可解な現象を映し出していた。共に侵攻した戦闘マシンノイドLUNAが、敵から受けたダメージを自らの力だけで再生し回復していたのだ。LUNAの破損した腕の切り口から、まるで意思を持った肉がもぞもぞとうねり出てきたかと思うと、それはすぐに腕の形となっていったのだ。テットがLUNA達の下に配属されていた理由の一つは、マシンソルジャーを製造したと思われる企業の情報を収集すること。もう一つが、深刻な大量破壊兵器である『悪魔』を発見することだった。用途どころか存在すら疑わしいそれを、特別監査警察は数年間捜索していた。こんな雲をつかむような任務を、テットはすぐに引き受けたのだ。なぜなら、その悪魔を作り出したのは……。

「おい、事故区画が映し出されているぞ! 」
喧騒の中から男性職員が声を上げる。テットとマルティナはすぐにモニターに目をやる。
ポータルユニット起動実験を行っていたと思わしき場所には、何も無かった。研究用の機材や物までもが、まるで何かに吸い込まれていったかのように、綺麗さっぱり消滅していたのだ。当然そこには、ステライル局長やLUNAの姿もない。
「マルティナ、この場所に抜け道やシェルターはある? 」
「……いいえ。あそこは、一か所しかない扉からしか出入りできないわ」
マルティナは少し考え込み、何かを思いつくとテットに語りかけた。
「まさか、実験中のポータルユニットが暴走したというの? 」


忽然と消えてしまった二人の消息を気遣うテットとマルティナ。LUNAとステライルの二人は異世界に行ってしまったとでもいうのか。
突然、テットの頭上から何かが落ちてきた。それはボールペンだった。
「これは……なんでこんなものが? 」
マルティナのところには一週間前からステライルに解析を依頼していたレポート用紙が降って来た。
疑問に感じる間もなく、局内の至る所にパソコンや机、椅子などがボトボト降って来たのだ。それはマルティナがどこかで見たことがあるものばかりだった。
「まさか、局長達は短距離ワープしたのかしら」

                                                                             ◆

ポータルユニットで作り出された時空の穴を通り、LUNAとステライルは異世界より帰還した。ステライルの目の下にはクマが出来ており何やら徹夜をしたのだろうという面構えだったが、その表情は明るく我に敵なしと言わんばかりに活気に満ちていた。
しかし、そんな彼女の後から続いて出てきたLUNAはボロボロだった。LUNAは戦闘の際にマギ技術を応用した障壁『シールドシステム』で自らを覆う。その障壁は理論上あらゆる攻撃を無力化するが、強力な攻撃を受け続けると障壁が霧散してしまう。障壁展開のためのマギチャージが完了するまでダメージをカットすることが出来なくなってしまうのだ。着用しているボディアーマーもボロボロだ。さらに、対マシンソルジャー用に強化されていたプラズマガンも半壊しており、トリガーを引くといつ暴発するか分からないほどにダメージを受けていた。LUNAの損傷は、彼女を追い詰めるほどの手練れと交戦したことを物語っていた。そして、彼女の顔にも(もともと常に無表情なのだが)暗い色は無かった。そればかりか晴れ切った青空のようにすがすがしいものだった。
「これは……元の世界に帰還したのか? 」
「そうみたい! でも、どうしよう。研究区画が滅茶苦茶になっちゃった…… 」

ステライルは自らが厳重に閉鎖していた防壁のロックを解除する。防壁がすべて開き切る前に、マルティナとテットが二人の下に駆け寄った。
「局長!それにLUNA! 二人とも大丈夫!? 」
「ああ、マルティナじゃん。結構な修羅場だったけど大丈夫! ちゃんと街の平和は守って来たよ! 」
「街の平和? ……何寝ぼけたことを言ってるんですか? 」
マルティナはうんざりした表情でステライルに漏らした。
「この区画のあらゆるものが、局内に散乱していますよ。」
「へ? マルティナ? 私達は異世界に行ってて― 」
「もしかして、寝ぼけているのですか? 局長達はここから5分前に短距離ワープして帰って来たんです。それより、施設内に散らばった機材、アレ全部片付けてください。私手伝いませんから」
マルティナは彼女達が異世界に行ったことを信じていないようだ。それもそのはず。ポータルユニットの全容を知っているのは、局内ではステライルだけだったからだ。
「LUNA、一体何があったの? 」
ボロボロになったマシンノイドを目の当たりにしたテットは声をひそめ、やや警戒するかのように言葉をかける。
「異世界で武装勢力と交戦し、協力者の助力を経て壊滅させた」
テットはLUNAにその武装勢力と戦場になった街の名前を確認したが、連邦国のあらゆるデータベース上に存在しないものだった。
さらにLUNAに聞くと、その世界はこちら側と比較して科学技術が発達しているのだ。協力者は、単身その武装勢力を相手にしており、強力なパワードスーツを着こなす未成年者の少女だそうで、近い年で戦場に出た経験のあるテットにとってはどこか懐かしさを感じるものだった。

「ステライル、ポータルユニットのことなんだけど」
「あぁごめん、忘れてた。体験してしっかり調査して……あっ! 」
ステライルがポケットから取り出したポータルユニットは、どういうわけか真っ黒に変色し、ボロボロと崩れ去っていった。小型のポータルユニットでは強大な負荷に耐えられなかったのだろう。
「ごめん、ポータル壊れちゃった…… 」
「……ポータルユニットを破損させてしまった。こちらの不手際だ」
LUNAとステライルに、テットはどうしようもないよと言葉をかけた。
「LUNAがどうしてそこまでボロボロなのか分からないけれど、すぐにメンテルームに連れていきます。DRAG-GAIAの調整も控えているので、私本当に忙しいです。お片付けは局長一人でやってください」
マルティナはLUNAを引き連れて、メンテルームへと歩いて行った。

                                                                               ◆

「私達、本当に街を救ったのに…… 」
「仕方がないよ。ポータルのこと知ってるの、私達だけなんだから。それで、このポータルは一体なんだと思う? 」
疲れ果てた子供の用にうなだれていたステライルは、その言葉を聞くと聡明な科学者に姿を変えた。
「アレを作ったのは何者なの? まさか、異世界への扉を開くなんて……。あそこは一体どの世界線なのか、それとも外宇宙なのか、情報が少なすぎて見当もつかないよ」
「悪いけど、全てを教えることは出来ない。君の命を保証することが出来ないから。アレはこの世界を支配しようとしている敵が作り出したものなんだ」
ステライルは事の重大さをすぐに察した。かつて大企業の研究長を任されていたステライルは、産業スパイにつけ狙われていたことがあったからだ。さらに、ステライルの心配事はそれだけではなかった。LUNAが突然暴走し、民間人の少女を手に掛けそうになったのだ。あの時相手側の少女がパワードスーツを身に纏っていなければ、かなり悲惨な結末を迎えていただろう。暴走の際に、LUNAの形状に変化が見られた。今までの観測データに存在しないものだったばかりでなく、戦闘スペックが異常に上昇していたのだ。それも、かつてマシンソルジャーを壊滅させた時を遥かに凌駕して。
「私、とても怖かった。LUNAが何か別のモノになってしまいそうで…… 」
ステライルから語られたLUNAの変化にテット戦慄していた。テットの悪い予感がさらに確信へと変わっていく。LUNAは本当に悪魔なのだろうか……。
「この事はウチのボスにも報告しておくよ。外出するときは、絶対にLUNAや護衛と同行して」
ステライルにこう告げると、テットは兵器開発局を後にした。

                                                                              ◆

その後、ポータル起動実験を行った区画に、あらゆる姿の幽霊が現れるようになったという。幽霊の姿はレオタードを着た女性など様々だったが、とりわけ多かったのがポニーテールの女子児童の幽霊だった。ポニテJK幽霊はとても運動能力が高く、目まぐるしいスピードでこちらに向かって走ってきたり、空中を跳ねまわったりとその身体能力を遺憾なく発揮していた。
これは、ポータルユニットによる一時的な次元接続が原因で、あちら側の世界の出来事を映像として投射しているに過ぎないものだ。しかし、当時職員達はその事情を理解しておらず、ポータルユニットが死後の世界を引き寄せたのだと物議を交わすことになった。ステライルは職員達に問題無いことを説明したのだが、彼等はステライルが死後の世界を見て狂ってしまったのだと理論を飛躍させ、勝手に恐怖に慄きだしたのである。そしていつしかそれは、兵器開発局の七不思議『ポータル起動実験の怪』と呼ばれるようになったのだ。

しかし、コレは単なる怪談などでは済まされない事態だとステライルは理解していた。異なる世界が接続されることは、あちら側から来訪者がやって来てもおかしくないと言うことだ。さらにそれが悪意を持った侵略者であったなら……。不確定だが、いつか現れる来訪者に備え、ステライルは密かに行動を開始する。友人であればもてなし、敵であれば銃口を向けるために。